日本一の茶所として有名な静岡県。
農林水産省の調査では令和5年の荒茶生産量のトップは静岡県。
生産量は全国の43%を占め、ついで鹿児島40%、三重9%と続きます。
お茶のイメージが定着している静岡県ですが、なぜ名産地になることができたのでしょうか?
静岡県がお茶の名産地になるまでの理由をご紹介していきます。
平安時代に日本にお茶が伝わった
日本における「お茶」のはじまりは平安時代とされています。
遣唐使が唐から持ち帰ったことが由来とされ、当時は飲料ではなく、薬として飲まれていました。持ち込まれた「お茶」は「抹茶」のことで、現代の日本人に馴染み深い「緑茶」は、後述する明治時代に普及します。
当時のお茶は一部の上流階級が薬として飲むことが多かったようです。
鎌倉時代に静岡県にお茶が伝わった
静岡県にお茶がもたらされたのは鎌倉時代とされ、駿河国(現在の静岡県中東部)の僧が留学先の宋からお茶の種を持ち帰り、栽植したのがはじまりだと伝えられています。
名産地になった理由「気候に恵まれていた」
お茶は温暖多雨の気候下で育ちやすいと言われています。
静岡県東は熊野灘や遠州灘を流れる黒潮の影響で、四季を通じて温暖な気候です。
また、暖かく湿った気流が入りやすいため雨が多く、お茶の栽培に適した気候だったため、静岡県は質の良い茶葉を大量に生産できました。
名産地になった理由「交通の便が良かった」
江戸時代に宇治茶栽培農家であった永谷宗円によって「青製煎茶製法」が確立され、現在にも通じる煎茶の製法が普及し、武士だけではなく、庶民にも広くお茶が普及するようになりました。
その中で静岡県は東海道は交通の要地として整備され、主要道として多くの荷物が行き交いするようになり、首都である江戸に頻繁にお茶を出荷できました。
産地になった理由「大量生産・大量出荷が可能になる」
江戸時代が終わり、職を失った武士たちは新たな職を探しはじめます。
静岡県では職を失った元藩士たちが、牧之原台地の開拓を開始しました。
明治時代に入ると、国内だけではなく、国外にもお茶の出荷が始まります。
当時生糸とあわせて日本茶は二大輸出産業であり、静岡県は横浜港に近いこともあって、安定的な生産量を誇りながら出荷できたため、静岡県はさらに名産地としての地位を確立していったのです。
そして現在、静岡県は日本一の茶所としての地位を確立しました。
ですがそれに甘んじることなく、品種改良を続け、新たなお茶製品にも着手しています。
お茶と言えば「やぶきた」が有名ですが、現在はその「やぶきた」と天然玉露といわれる「あさつゆ」を交配し、すぐれた品質である「さえみどり」が誕生しています。
Cha938でも「さえみどり」を取り扱っているほか、ニーズに合わせてさまざまなお茶を取り扱っておりますので、どうぞ手に取ってお召し上がり下さい。