抹茶を飲む風習は、平安時代末期・12世紀に禅宗とともに中国から伝わりました。
喫茶の場にふさわしい作法、道具、空間、建築が整えられ、日本独自の発展を遂げます。
この総合的な芸術文化が「茶の湯」です。
やがて、禅宗寺院から武士たちにも広まり、鎌倉から室町時代にかけて、茶の品質を飲み当てる「闘茶」という遊びが人気を博します。
一方、最高権力者である足利将軍家は、中国からもたらされた貴重な美術品「唐物」を収集し、それらを飾り、またそれらを用いて喫茶を楽しみました。
そして16世紀末、安土桃山時代に至り、千利休によって茶の湯は完成期を迎えます。
利休は、人気の高い唐物を用いるだけでなく、自らの好みで日常の簡素な道具を選び、それらを取り入れた「侘茶」を主導して、今日の基礎を築きました。
そして江戸時代以降、将軍家や大名家の規範、精神のよりどころとして重んじられるようになり、利休を継いだ茶人たちによって多くの流 派が生まれて各地で隆盛しました。
かつて将軍や戦国武将らが手にした由緒ある道具 (名物)もまた、時代を超えて受け継がれ、茶の湯は現在まで脈々と続いています。